ホーム
> 寧波ニュース > ニュース速報
2点の「紅装」代表作の由来
2021-01-11フォントサイズ: A A A

                   皇室御用16人担ぎ上げる轎を民間へ

  この16人担ぎ上げる轎が寧海国際会展センターで保管され、寧波中華文化促進会紅装文化委員会の主任李和康に収蔵されたのである。

花轎は多くの寧波人が知っているが、初出の16人担ぎ上げる轎が迫力満点である。朱金の木彫り、煌びやかに輝き、重なり合った楼閣、反り返った軒先、柱の竜鳳吉祥、比類はないほどである。


 李和康の紹介によると、この花轎は清朝末期の落ちぶれた貴族の文英から光緒の結婚プレゼントである。光緒の好感を博するため、文英が大量の土地や田畑を売り払い、金の糸とクスノキを仕入れ、朱金木彫り名職人――台州杜橋横楼村人の李懐煊に作ってもらうことになった。李懐煊はおよそ20名の職人を募集し、8ヶ月かけて、およそ1万余り作業日で完成された。贈り物を受け取った光緒は気に入り、思いがけないことに、飾りつけた竜が鳳の上に彫られたことに怒った慈禧が焼却を命じた。李鴻章が惜しみ、腹心に適切に処理するように命じた。そこで民間に流出し、道中に多く損傷があった。その後、修復作業が依然として李懐煊に任せた。李懐煊は保護のため、花轎を解体し、5つの場所に分け保管された。しかし結局見つけられ、解体された花轎の多くが破壊された。わずかに残されたのは金糸クスノキの花板と骨格だけである。祖先の作品を再現するため、近年、李家の子孫である李伯其は名匠を招集し、3年近くかけて、ついに伝奇的な花轎を再び復元された。

  

 16人担ぎ上げる轎と一緒に展示されたのは万工床である。この万工床は反り返った軒先、押しのけた廊下、精細な彫刻で江南古い邸宅の万工床である。


 考証によると、この万工は清朝末期の寧海海遊(現属三門県)の富豪章氏の章思培が息子章梫に特製してあげた結婚用ベッドで、上に「綉閣生香」の4字が夢で思いついたのである。光緒7年(1881年)結婚用ベッドを作り始め、5年がけで完成した。結婚用ベッドを、章家はとても造り始めた後、章家が順調に、章梫の学業が大いに進歩し、結婚の年に科挙に合格し、3年後に進士に受かった。章梫は清朝末民国時期の有名な学者、教育家、書道家で、その子孫は優秀な人材が代々続き繁栄し発達した。


 この万工ベッドの四柱の草竜が削られ、転々と台州杜橋横楼村に流れ、近年修復し、2020年に李和康に収蔵された。

16人担ぎ上げる轎と万工ベッドが伝統的な紅装文化の典型的な代表である。今、寧海国際会展センターで陳列されている。   

【印刷】 【閉じる】