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姚劇
2017-10-09フォントサイズ: A A A

姚劇は本来「余姚灘簧」と呼ばれ、主に浙江余姚、慈渓、上虞などの漢族居住地域で盛んにしていた。1950年から姚劇と定めた。姚劇は現地の漢族民間歌舞曲芸の「馬灯」、「旱船」、「採茶藍」、「崔冬冬」のなどから発展してきたのである。そのため余姚一帯で、姚劇はまた「灯劇」、「灯班」を称される。

 

姚灘の節回しは素朴で優美で、リズムが明快で、基本調と小調からなっている。基本調は常用「平四」と「緊板」である。曲体は「起、平、落」がある。平腔は清板で歌い、男女同調異腔、自然的に転換し、女性の「平四」は下韻、澄みきって緩やかで、叙述性歌詞を用いて、比較的に豊かな情感を表現することができる「緊板」は緊張感の満ちた熱烈な場面を表現することができる。もう一つは小調で、全部40部ぐらい、江南の民謡であったり、明清の庶民的な歌であったりするなど、例えば『夜夜遊』、『小扳艄』、『紫竹調』、『対花十送』、『五更調子』など、音色が優美で、リズムが軽やかで、そして郷土の息吹が感じられる。

 

姚灘の芸人の多くが農民や手工業者の出身で、例えば漆器工、竹筵職人、左官、棕櫚小屋掛け(壁紙,天井張り)職人などである。暇な時期を利用し演劇し、姚灘の道具も非常に簡単で、ハンカや扇子一枚でも舞台で演じることができる、簡単で少人数のため、とても農村に適する。しかし、当時、この劇に対する偏見や「灘簧班」の大道芸に下品なせりふが入り混じったため、祠堂内で神廟内での演出を禁止され、野外で簡易な舞台を作って披露したのである


新中国設立後、一部の芸人が姚灘の内容や演出形式に対して改革を行っていた。例えば現代劇、男女合同公演等々ある。党と政府の指導の下、1954年に姚劇劇団が設立された。余姚と慈渓西北地区、上虞東部の一帯、広い農村で姚劇団も盛んに発展され、概算統計によると、20世紀の5060年代、姚劇劇団は150余りに上った。これは強い生命力と深く愛される証である。2008614日、姚劇は第2陣国家級無形文化財名簿(伝統劇目録)に入られた。


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