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銭業会館
2017-10-09フォントサイズ: A A A

 銭業会館は省クラスの重要文化財で、市内の「戦船街」10号に位置する。清の同治年間、銭業同業組織の形式は、銭業会商処と言われ、江厦辺りの川辺に公所を設け、戦火で壊され、後1862年に銭庄業は資金を調達し再建に取り組み、民国12年(1923年)、地理的に不利ということで、造船所(今の戦艦街)、「平津会」の家屋と敷地を買い取り、新会館を建てた、それは今の銭業会館で1926年に竣工である。銭業会館は寧波の各金融機関の集いの場であり取引の場でもある。銭業会館は1925年に建てられ、面積は1500平方メートル余りである。前後三軒の屋敷、亭と楼閣と庭園から構成され、中国と西洋式の、煉瓦と木造の二階建である。当時の寧波金融業の最高決定機関である。全国で唯一完全保存の銭庄業の建物である。解放後、省レベル重要文化保護財と指定された。その周りの環境もいいし、交通の便もよい。

 

銭業会館は南向き、前後3棟、舞台と亭閣からなる中国と西洋が備わっている煉瓦木造の建築物である。中には金融業の発展の概況と建築の経緯を記述する3碑がある。


銭業会館は当時寧波銭庄業の栄えた象徴である。寧波の銭庄業は清朝の初めから、『鄞県通志』に、当時の寧波の金融はずっと銭荘を中心に、最盛時、資金は6万元以上の同業36軒、万元以上の小同業は30軒余り、数百元以上の両替所4000軒、その財力は上海(貸出3000万元)を凌いだ。民国20(1931)全県の私営金融機関はすでに160軒まで、資金総額は3866万元に上ったという。その上現金なしの「帳簿制」を導入された。金融業の繁栄は経済発達の標識でもある。当時、「天下にあまねく歩いても寧波江厦に及ぶとろこはない」という言い方があるほどで、寧波の経済の繁栄をうかがえ、寧波人の誇りが感じれるだろう。


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