ホーム
> 観光 > 工芸品
寧波朱金木彫り
2017-10-05フォントサイズ: A A A

 寧波の朱金漆木彫りは「漆金木彫り」とも呼ばれ、寧波の伝統的手芸品の一つである。楠・槿・銀杏などの木材を浮き彫り・立体彫刻・透かし彫りに彫り、その上漆を塗り、金箔を貼り、そして砂金・碾銀・開金などの工芸を加え、中国大漆を塗って朱金漆木彫となるのである。

寧波朱金木彫りの構図が旺盛で、内容の多くが慶事、民間伝説、画面が充実で多彩であって、寧波の独自な風格を形成された。その画面は「にぎやか」を主にし、曲劇の場面を素材にするものは、「京班体」とも呼ばれる。造型は古風で質朴で生き生きとしていて、剣術が重厚で、色彩交互、きらきらと美しくて華麗で、きわめて強い芸術性と実用性を持っている。

 

 寧波朱金木彫りの歴史が悠久で、漢、唐、宋から広く伝わっていた。寺院、祠堂、住居、花輿、木床などは全部漆塗り木彫りを施される。寧波保国寺で保存された朱金木彫りの千工床、万工轎は朱金の光り輝き、朱金木彫りの精華を集めた。万工轎を例にして、飾りつけた輿が木彫りの花、朱の漆、金箔の花、いずれも細工が巧みである。万工轎万は前後左右対称で、精密で複雑である。最上部には上下7回ある。万工轎の上には24羽の鳳凰、38頭の竜、54羽のツル、174羽のカササギ、92頭のライオン、22羽のタカ、22匹のカマキリ、12人の小天使、124か所のザクロ百子、18対梅カササギ図、12対リスブドウ群像、および250の人物、天宮賜福、麒麟送子、魁星点状、八仙過海、昭君遠嫁、木蘭従軍、王羲之愛鵞、林和靖放鶴などのめでたい物語と歴史人物が彫られた。万工轎の側面に寧波風格の刺繍の帳は飾れら、いろいろで精致な小宮灯、小さい鈴とタッセルがある。8人が万工轎を持ち上げ歩きだすと、人物、小鈴が揺れて心地良い音を出すのである。

 

 朱金木彫りは新中国設立後、更に煌びやかで美しい花が咲いた。多くの建物に彫刻装飾が飾れら、朱金木彫り屏風、箱、古代人物、仏像、ライオン、飾りちょうちんなどを彫られ、ヨーロッパ、アメリカ、アジア、アフリカの国家と地域へ歩み出し歓迎された。

 

 実は、寧波の伝統芸術としての朱金木彫りは、唐代ですでに寧波から日本へ伝えたのである。唐の高僧の鑑真は唐の天宝2年(743年)第2回日本へ渡って、船は明州(寧波)の狼溝浦で暴風雨に襲われ、座礁された。明州官吏に救助され阿育王寺に泊まっていた。鑑真は渡日の時、寧波の朱金木彫り職人を日本へ連れて行った。鑑真は天宝12年で(753年)は渡日成功し、奈良で東大の寺に住み、日本奈良で一番有名な寺院となった。鑑真は755年11月にこの寺で講堂を開き、朱金木彫りで2丈の5尺千手観音を作って、その中に置くようにしたのである。西暦紀元756年6月、

 

 日本の聖武帝の遺物は大仏に仏陀百体、盧舎那仏、観音仏像、純金観音1体献納した。この彫刻技術は、鑑真と彼の率いる明州、揚州の彫刻師の技術が見られる。東大寺の奉げ物に鑑真の持っていった芸術品もある。同時に、鑑真とその弟子によって建立された日本の唐招提寺も、寧波式の朱金木彫りも多く使われ、その正殿、仏舎利殿西北隅山開き堂などの朱金木彫りは寧波阿育王寺と彷彿とさせる

 


【印刷】 【閉じる】
Produced By 大汉网络 大汉版通发布系统